この日(9/18月)は、夜中っからえらいことになりましてね。

Jアラ~トばりにスマホが鳴り響き。
台風18号がト~ホグへやって来たと。
アラ~トまでは予想してなかったなぁ・・と苦笑しつつ、
耳をすまして以下を確認。
・外へ出たら逆に危険ぽい雨風の音
・宿のスタッフさんやお客に動きなし
・外を走るクルマの量に変化なし
いちおう雨がっぱを横に置き、「まいっか」って二度寝しました←

結局、なにごともなく朝を迎え。

9時になると、なんと晴れてきたw
行っくぞぁ~

大槌町~釜石市~大船渡市~陸前高田市~気仙沼市~石巻市~女川町~仙台市、256km。
実際は、なんだかんだで300kmくらい走りました 笑。


のっけから、震災の爪痕が前日よりも濃い。


加えて、台風一過のざわつき感。
かなりの強風、そして濁流。
釜石の町は冠水してて入れませんでした。

陸前高田へ入ると、さらに波乱含みとなり。
町へ入ったとたん、警備員さんが

「国道がまっすぐ通れないから、町の奥まで迂回してください」と。
寸断された箇所はちょっとの距離なのに、すごすぎる。

砂利道・・タイヤの細い原チャはハンドルをとられます。
めまぐるしい事態に、じわじわ動揺。

町中へ戻ると、更地が売り出されていて・・被害の大きさを察し。

そして、またもや国道が寸断。
なんと「隣の町まで迂回してください」って。
行きたかった奇跡の一本松の場所を尋ねたら、
「その一帯は台風の影響で立入りできません」と。
ますます動揺。

で、やっちゃいました。。。
ぬかるみにタイヤがはまり横転。

カゴはぐんにゃり。
ちな、この石は大間崎のもの。

徐行してたんで、ケガも故障もなかったのは幸い。


もろもろの動揺で、しばらく宮城インに気づかず 笑。

未知の地名にわけわかめ。
・・・・・・。
よっしゃ、
切り替えよう( ^ω^)

おいしいものでリフレッシュ。
ピンチのあとにチャンスあり。
お遍路で揉まれた経験が活きた 笑。
お店の前の水道をお借りして、ドロ汚れもきれいさっぱり。
鮨処えんどうさん、ありがとうございました!

その先も、さらに震災の爪痕は深まって。

橋が寸断。

線路が寸断。

山あいに建つ、工事関係の方々の建物。
おつかれさまでございます。

逆に、復興の兆しも感じられ。



お客さんがたくさん来てました。

石巻へ入ると、

ふたたび風が強まり。

この新北上川沿いの道、強風すぎて20キロしか出せず(ふだんは70-80キロ)。

その先の長い橋を渡ると・・

大川小学校跡地・・・





wikiによると・・
「津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた」
「この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。スクールバスの運転手も死亡している」
・・・・・・・。

画像中央が大川小学校。この角度と広い川幅では・・・。
手を合わせて・・そっと立ち去りました。

その先の山道で・・
目の前をいきなり大きな鹿が横切り、急ブレーキ。この崖ん中へ消えてった。
カオスすぎる1日。
そして、
石巻の町を抜けたすこし先が・・
この日、いちばん胸がつまった場所。
写真は撮らなかったけど・・
国道沿いに、おびただしい数のお墓が不規則に並んでたんです。
その先にも、同じ数くらいの墓地がもうひとつあって・・。

明け方から夜まで、生と死について考えさせられた1日。
死に対する心がまえと、いかに充実して生きるか。
答えをさぐりあてて行こうと思います。

19時、仙台市内のゲストハウス着。
ここでいったん、切りましょか。
ラウンジで出会いがあったんだけど、その続きは次回。